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April 16, 2006

℃-uteを肯定する

さて、秘密兵器である。


ハロプロ最大の魅力とは?

難しい設問である。異論は様々だろうが、僕は“ドラマがある”“語り継がれる物語がある”ことであると答える。

もはや神話と化した感のあるモーニング娘。の結成からメジャーデビューまでの話は言うに及ばず、紆余曲折ありまくりのカントリー娘。(※1)や幾度となく解散説が囁かれながらも本人たちは知ってか知らずかいつも元気で必死なメロン記念日、ゼロからスタートして芸能人女子フットサル界の頂点に立つも一般チームに勝つ目標が未だ残り続けるガッタス・ブリリャンチスH.P.など、ハロプロの人たちはそれぞれにドラマチックな事情を持ち、メディアやインターネットで披露されるそれらのドラマに僕は魅了され続けている。なぜ大下英治は「小説ハロー!プロジェクト」を書かないのか本気で不思議に思うくらいだ。

デビューのきっかけや今後の目標などの“設定”“ストーリー”ならハロプロでなくてもみな持っている。ハロプロの送り手が巧みだったのは、それらをただ提示するのではなく、見る者の感情を動かす“ドラマ”としてみせたことだと思う。そして感情を動かされた(まさに“感動”である)人々によって“物語”として語られるものとなった。


※1)いやもうホントにねぇ、現在もカントリー娘。が存在し続けているってのは、陰に事情や思惑があったとしても一種の奇跡だよ。その功労者の一人として、僕はりんねを決して忘れない。もちろんひろみも。あずさは・・・別にいいか(笑)。



ただ最近はそのドラマが影を潜めている。たとえばモーニング娘。でいうと、先輩たちが紡いできた物語の続きはあるのだし、ほかにも実際は色々あるのだろうが、それが見る者に伝わりにくくなっている。したがってメンバー個人やグループそのものに感情移入してもらえることがなくなり、「皆さんおなじみのモーニング娘。です」とメディアに現れても普段から情報を追いかけている人でないかぎり「いやいやアナタたちはおなじみじゃないんだわ悪いけど」という反応しか返せないという結果になっている。

“ソロからグループへ放り込まれた藤本美貴の戸惑いと葛藤、そしてフットサルを契機とした自己の開放”“『エースを超えた』とまで言われた新メンバーとそれを迎える側の双方に起こる変化”など魅力的なストーリーはあったのだが、それらをドラマとして見せていくことは「そういうのもういいじゃん」といいたげに回避された。よかぁないんだよ。

ドラマという点で最近もっとも盛り上がったのは2005年春コン八王子だろう。突然メンバー(それもリーダー)がいなくなるという状況、それを打開するというストーリーが設定され、残されたメンバーも客も“なんとかしなければならない”と感情を動かされた結果、それぞれが自分のできることを精一杯やったコンサートとして、かなり感動的な盛り上がりを見せたと聞いている。
今も折に触れ語られているコンサートなのだから、人為的な不可抗力(矛盾した表現だが)から生まれたものではあったが、ドラマというものがいかに強い印象を残すかという好例といえるだろう。

ストーリーとは筋書き。話の流れ。
それがドラマになるには、見る者の感情を動かさなければならない。

なぜガッタスが賛否両論含めて話題になるのか。そこには日本におけるフットサルの普及という大目標、一般チームに劣らぬ実力をつけ、都大会で好成績をあげる中目標、そのために目の前の試合に勝つ個人のプレーとチームの戦術の両方をレベルアップさせる小目標というストーリーがあり、目的意識や向上心からくるメンバーの感情と目の前の試合展開が見る者の感情を動かし、それらの相乗効果でドラマが生まれるからではないだろうか。

地球の平和を守る、肉親や恋人等を殺した相手に復讐する、生き別れの母を捜す、憧れの異性の心をつかむ、ライバルに勝利する、とにかく生き延びる、・・・優れた物語にはおしなべて主人公に明確な目的が設定されているように思える。であるならば、最大目標は別にあるものの、ライバルがいて目の前の試合で勝つという目的が毎回与えられるガッタスが盛り上がるというのは必然(多くの場合勝利するというのもポイント)であり、また現状で彼女たちの“本業”にそれらが見えづらいという痛烈な指摘であり批判である。

フットサル活動に好意的でない人には「そういうのは“本業”で見せてくれよ」という気持ちがあるのではと想像している。もちろんそれは正論だ。
しかし、その“本業”では、メロン記念日を除くとメンバーが目的とするものも、勝利すべきライバルの姿も見えない(※2)。何もない“日常”でドラマを作るのはとても難しい。小津安二郎の映画だって何かしら事件は起きていたはずだ。見たことないから知らないけれど。

君たちは何のために歌うのか”という命題は常に突きつけられていてほしいものだ。それが自己満足のためであっても非難はしない。

ついでだからフットサルと“本業”との関係について話すが、やっている側にはもう“どちらが本業か”という意識はないように思える。メンバーにとってはもはや不可分の存在だろう。ウルトラセブンとモロボシ・ダンのようなものだ、とマニア向けに逃げてみる。


やっと℃-uteの話だ。お待たせしました。

現状では活用しないどころか避けて通ろうとしているようにも見受けられる話だが、彼女たちには(事情は色々あるだろうが)“同期に抜かれた子”“Berryz工房に選ばれなかった子”たちという“背景”がある。ZYXやあぁ!のメンバーとしていったんデビューした子もいるのだからなおさら哀感をそそる。このマイナスの立脚点から始まるストーリーは、見る者の感情に訴えやすい。その活動の一つ一つが、見る者に“先を行くBerryz工房に追いつき追い越そうとするドラマ”を勝手に思い描かせる。個人での仕事をいくつかしてきたことさえ“来るべき日に備え着々と準備を進めてきた”ように思えるから不思議だ。いや実際そうなんだろうけど(※3)。

メンバー個人に目を向けても、センスはあるが口の悪いファンから“少年”とあだ名される岡井千聖がどう女っぽくなっていくか(そう、なっていくのだ、きっと)、みんなのマスコット・萩原舞(ずいぶん背が伸びたと思ったらもう5年生だそうだ)が一人前のレディーに成長していく様子、短距離の女王の地位を固めるか長距離でリベンジを図るかで迷う(のか?)矢島舞美の姿など、興味深いインサイドストーリーがある。その他のメンバーにしても、イベントに行った人やFCで販売されたDVD、スポフェスDVDマガジンを見た人はわかると思うが、「“グループとしての一体感”って何ですか?」とでもいいたげにそれぞれ見事にバラバラな個性を持ち、それを発揮している。
また頼もしい新メンバーも入った。℃-uteにおける有原栞菜というのは、マジンガーZならジェットスクランダー、帰ってきたウルトラマン(絶対に“ウルトラマンジャック”などとは呼んであげない)ならウルトラブレスレット、ガンダムならGパーツである。きっとそうに違いない。そうだといってくれ。ってまたマニア向けだな。

ただ問題は、ストーリーを内包した個性的なメンバーであることはわかるのだが、それをドラマに転じさせる機会がほとんどないことだ。先輩たちのコンサートへのゲスト出演はこの先もあるだろうし単独イベントも用意されているのだが、ドラマになりやすい“(見せてもいい程度の)舞台裏”を見せるにはメディア露出が不可欠だろう。とはいえモーニング娘。すら露出が減っている現状では難しい。

GyaOの「ハロプロアワー」には一人ずつゲスト出演していて、それはそれで見る機会が増えて結構なのだが、ネット配信ではまだまだ一般へ伝播させる力が足りない。伝説の「アイドルをさがせ!」でも復活してくれれば期待できるのだが・・・(※4)現状では「娘DOKYU!」というのがもっとも現実的だろう。しかし間の悪いことに第二期ドキュメント編は3月で終了しているので、個人やグループのドラマを見せるには1クール待たなければならないし、待ったところでガッタスとメトロラビッツと「リボンの騎士」のドキュメントが流れるだけだ(見る予定は今のところないが、ミュージカルには大いに期待している)。出番はきっと回ってこない。

やはり自力でなんとかするしかないのか。厳しいなぁ。“℃-uteはめったに見られない”と飢餓感をあおるプロモーションというのも悪くはないが、コネでもバーターでもなんでもいいからメジャーな場で見たい。


最近の動きとしては「伝説のスタフィー4」のCMソングに起用されたというのがもっとも大きい。メンバーの持つ活発なイメージに合致した元気のいい曲でかなり気に入っている。せっかくなのでゲームの売上にも貢献したいところだが、ハードがないんだなー申し訳ない。

Berryz工房が“大人が好む理想の子供像”に沿った、悪い表現をすると“いい子ちゃん”になっていると感じる今、それに満足できない僕としては、二番煎じだけは避けてほしい。どれだけ評判がよかろうが同じことをやっては意味も価値もないし、そもそもどうしてもベリーズと比較されることは避けられないのだから、℃-uteならでは、というものを望む。
できることなら「リアルな子供ってこういうものよ」とばかりに子供の世界で自由に遊ぶ姿、お茶目で元気で大人も手を焼く“ちょいワル子供”が見てみたいのだが、下手をすると“自分勝手でかわいげのない子供”になってしまう恐れがあり、またどうしても子供が持つ遠慮のなさや残酷さに触れなければならないので、アイドルグループとしては難しいところか。

それはそれとして、一度イメージが固定されてしまうとそこから外れたことはやりづらくなってしまうので、“色”がついていない今はのびのびやってもらえれば楽しめるんじゃないか、という気はしている。上に挙げたようなストーリーを使うか使わないかにもそれほどこだわってはいない。見たり聴いたりして楽しめればそれでいいや、という気もする。こちとら楽しむことにかけては“出されたものは平らげて、骨までしゃぶって皿まで舐める”くらいのものなので、その用意はできている。


さぁて、どう楽しみ抜くかな?ハイ3回目。




※2)以前書いたことがあると思うのだが、メロン記念日が勝負を挑んでいく存在の一つはライブの観客、その盛り上がりである。DVDが絶賛発売中の2005年クリスマスコンサートのセットリストはものすごく挑戦的だった。そういう内向きな目標というのも、それはそれでズレているような気もするが。
モーニング娘。については、1年前にやめたあの人をヒールというか「ハッスル」の高田総統のような役割で使えていたらなぁ~とも思ったが、そんなことをやっていたら何らかの過激な行動を起こす者が現れたかもしれないし、もしかしたら僕が率先して行動を起こしていたかもしれないので、やらなくてよかったのかもしれない。今だからこんな話もできるが、1年前はそんな気持ちにはならなかったしね。

※3)お互いがどれくらい意識しているのかはわからないが、意識していないならそれはそれで、こちらで勝手に盛り上がるから別にかまわない。下手に対決ムードを煽って“Berryz工房vs℃-ute・負けたら即解散ガチンコバトル”なんてイベントをやられた日には客席に血の雨が降る。

※4)最終回で「スペシャルでお会いしましょう」って言った人がいたから信じて待ち続けているのだが一向にその気配がない。まぁ言ったのはみっ(ry

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Comments

 ハロプロに物語性を見つける(演出する)ことって、やっぱり欠かせない要素だと、私も思います。
 ℃-uteに関しては、私の見方はちょっと異なるかもしれませんので、トラックバックさせていただきました。

Posted by: tucker | April 26, 2006 11:20

拝読しました。大変参考になりました。Berryz工房と℃-uteの対比については改めて書いてみようと思います。

Posted by: オーガ | April 28, 2006 20:28

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℃-uteは”家族”  某コラムの、以下の一文は、℃-ute がどういうユニット [Read More]

Tracked on April 26, 2006 11:16

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