「告白の噴水広場」を肯定する
さて、Berryz工房を単独で取り上げるのはたぶん現体制になって初めてである。
誰だよムード歌謡とか大嘘ついたの。
ロス・プリモスとか敏いとうとハッピー&ブルーとか和田弘とマヒナスターズとかそういうの想像してたら全然違うじゃんか。ってそれは「ムードコーラス」か。じゃあ「ムード歌謡」って何だろう。フランク永井? どっちにしたって違うよなぁ。
そういう正しくない表現をしても許されるなら、僕がわずかな記憶とイメージだけで「1970年代のアイドルにはこういうのあったよね」といってしまってもいいだろう。どちらかというとメジャーどころよりもちょっと通好みというかマイナーな方面、たとえば、これもものすごくいい加減にいうと三木聖子の「まちぶせ」とか。僕は石川ひとみで聴いた世代だから、「NAV三人娘」なんてマニア内でのカテゴライズは文献の中にあるものでしかない。ってわかる人いるのかな。
「アイドル・ポップス」(という表現も最近は廃れたようだが)というカテゴライズがされる前の、まだ「歌謡曲」の中にあった頃を思い出させる。軽く弾むのではなく「適度な抵抗感」といえるくらいの重さを持っている、とでもいおうか。ハチャメチャに弾けるか切なさに浸りきるかに二分されてしまったようなJ-POP(間抜けな言葉だ)界においてはこういうある種の「古さ」がかえって個性となっているのかもしれない。
そもそもハロプロ自体に、楽曲のことはよくわからないが、歌詞の持つ世界観(という言葉はあまり好きではない)というか提示するキャラクターの部分でそういう古さあるいは懐かしさのようなものが通低しているのではないか、という仮説も浮かんでくる。だからこそ「処女性」幻想がまかり通っているのかもしれない。
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