後藤真希ハロプロ卒業を肯定する
更新予定地
(11月1日0時15分頃更新)
さて、大きな一歩を踏み出したのである。
まったく何の心配もしていない僕は楽天的すぎるだろうか。楽天的なのは僕が後藤ファンとはいえない立場だからだろうか。だとしたら以下に書くことは熱心なファンの皆さんにとっては不愉快極まりないものでしかないので閲覧はおすすめしない。
更新予定地
(11月1日0時15分頃更新)
さて、大きな一歩を踏み出したのである。
まったく何の心配もしていない僕は楽天的すぎるだろうか。楽天的なのは僕が後藤ファンとはいえない立場だからだろうか。だとしたら以下に書くことは熱心なファンの皆さんにとっては不愉快極まりないものでしかないので閲覧はおすすめしない。
さて、「(Don't stop 純情)」という副題はどこいった? である。
発売から2週間が経とうとしているが、曲そのものには未だ馴染めずにいる。
『めぐる恋の季節』を好きになりすぎた反動なのかもしれないが、歌詞もメロディもアレンジもどうにもあざとく感じられて、好きになってはいない曲である。
しかし、そんなことは問題じゃあない。
さて、ロックである。
メタボとかそういう流行り言葉を安直に入れ込んでくる歌詞というのは、自分がメタボな人間であることを差し引いても大っ嫌いである。時代に乗った言葉を使うことで、次の時代になると古くさくて聴けないものになっちゃうんだということにプロなら気づいていただきたい。まぁそのへんをあまり追求しちゃうと「じゃあつんく♂氏の書く詞はどうなんだ」って話になるのでやめときますけども。
結婚して2年経つのにまだ新婚気分かよ、みたいなことも頭に浮かんでくるし(僕は結婚したことがないからわからないんだけど、これって普通なの?)、全体的に生活感のない「イヤなメルヘンタッチ」で聴いてるとだんだん腹が立ってきて「メロン記念日を1万回聴いて出直してきやがれ」みたいな気分にもなってくるのだが、この曲の価値というのはそういうところではない。実をいうと曲そのものはどーでも(ry。
これを中澤裕子が歌う、というところが実に素晴らしいのだ。
Recent Comments