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October 19, 2007

「だんな様」を肯定する

さて、ロックである。


メタボとかそういう流行り言葉を安直に入れ込んでくる歌詞というのは、自分がメタボな人間であることを差し引いても大っ嫌いである。時代に乗った言葉を使うことで、次の時代になると古くさくて聴けないものになっちゃうんだということにプロなら気づいていただきたい。まぁそのへんをあまり追求しちゃうと「じゃあつんく♂氏の書く詞はどうなんだ」って話になるのでやめときますけども。

結婚して2年経つのにまだ新婚気分かよ、みたいなことも頭に浮かんでくるし(僕は結婚したことがないからわからないんだけど、これって普通なの?)、全体的に生活感のない「イヤなメルヘンタッチ」で聴いてるとだんだん腹が立ってきて「メロン記念日を1万回聴いて出直してきやがれ」みたいな気分にもなってくるのだが、この曲の価値というのはそういうところではない。実をいうと曲そのものはどーでも(ry。

これを中澤裕子が歌う、というところが実に素晴らしいのだ。

古い結婚観を持っている人(意外に多いよね)にしてみれば、中澤裕子は「年下の子に先を越された女」である。
その中澤裕子が、独身の、噂はあるが結婚どころか熱愛報道もない中澤裕子が、好きな男と結婚して幸せな女性の気持ちを歌うのだ。「あんた独身やん」という無粋なツッコミなど承知の上で。
自虐ギャグという見方もあるが、堂々とこの歌を歌う中澤裕子は自称ロックミュージシャンが裸足で逃げ出すほどロックしていると僕は思う。世間の風潮に猛然と牙をむく中澤裕子はあまりにもかっこよすぎる。

中澤裕子が歌うから意味がある。そんな歌を歌える中澤裕子は間違いなく幸せであり、成功しているのだと僕は思っている。

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