July 10, 2006

5期メンバーを全力で肯定する(リメイク版)・序

さて、まだまだ語り足りないのである。

「5期メンバーを全力で肯定する」はあまりも荒唐無稽だったようでアクセスが伸びなかった。本人はけっこうマジでやっていたのだが。
つまり、これから少しの間またもやニーズの少ないエントリを書き連ねていこうというわけで、これ以上ないくらいの自己満足である。公共の場でマスターベーションをするべきではない、という批判は甘んじて受けよう。したくなったらいつでもどこでもいたしてしまう変態野郎と思われてもしかたない。変態というのは間違ってないし。

ああいうものを書いてしまう、書けてしまう阿呆の戯言と受け止めてもらってかまわないのだが、4月28日からしばらくの間いくつかのテキサイやブログを巡回して感じたのは、どうも皆さん現実をあまりにも正面から受け止めすぎではないか、ということ。ストレス耐性をつける訓練としては極上のネタで、それはそれでとても大事で大切なことなのだけれど、それで自分が押し潰されてしまうのなら、あまりにもリスクが大きいのではないだろうか。
現実を正面から受け止められる強さを持った人が多いのは誇るべきことかもしれないが、“ネタにして楽しむ”という、現実を受け止められない弱さの裏返しとしての強さにシンパシーをおぼえる立場としては、そういう人が思った以上に少なかったことを残念に思った。

現実は厳しく、容易に変えられない。仕事(することのつらさ)に見合う給料はもらえないし、そりが合わない上司の説教も聞かねばならないし、クライアントの無理難題を突っぱねることもできないし、ハブられたくないから気の進まない飲み会だって出なければいけない。
それでも、いや、だからこそ、少なくとも実生活に関係のない遊びや趣味の世界では、厳しすぎたりつまらなかったりして気に入らない現実を自分の気に入る“(自分だけの)真実”に作り変えてしまってもいいんじゃないだろうか。
そして胸を張ってこう言うのだ。

こんなことがあっても、いいじゃないか別に。

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July 04, 2006

「Ambitious! 野心的でいいじゃん」を肯定する

さて、色々と難しい曲である。


第一印象が悪いのは、もう珍しくもなんともない。
「こういう曲調もう飽きたんだよなぁ」
「なんか中身のない歌だよね」

しかし、この曲には何かあると感じた。


印象が変わったのは、CDが発売されて、カップリングの「わたしがついてる。」を聴いてからだ。
こんなにもあたたかく穏やかで美しく、しみじみと心にしみる優しい歌を、メッセージを送ることが(まだ)できる。モーニング娘。にはまだその力がある。
ならば、意識的にやっていることだ。

タイトルは、中身がないどころか見事なくらい充実している。
“Ambitious”は、もちろんかの有名な札幌農学校(現・北海道大学)初代教頭のウィリアム・スミス・クラーク博士の名言「Boys Be Ambitious」に因んだものだと思われる。札幌つながりで紺野あさ美の卒業に引っ掛けてあるのはいうまでもない。
そして“野心的でいいじゃん”。これは主語によって違う言葉になる。
表の意味は歌詞からも読み取れるように、
「(我々は)もっと野心的に生きてもよいのではないか」
ではないかと思うが、
「(あなたは・彼は・彼女は)野心的な人で、そこが魅力だ」
だという可能性もある。
野心的なのは誰か。大望を胸に秘めてモーニング娘。から巣立とうという人たちのことではないかと思っている。詞を書いた人も一緒に歌っている人たちも、彼女たちが何をしようとしているか、どうなろうとしているかを知っているはずだから。


ヘビロテしているうちに、サビの歌唱に引っかかった。

なぜ“見上げれば 未来”を、まるで見上げても未来がないことを知っているかのような悲壮感を漂わせて歌っているのか。
歌詞カードでは“Boys&Girls! Be Ambitious!”と感嘆符を入れて力強いメッセージを感じさせているのに、なぜ実際の歌唱は“Boys&Girls! Be Ambitious・・・”と表記したくなるくらい寂しげに聞こえるようにやっているのだろう。

まるで、見上げれば未来があると信じよう、大志を抱いて生きようと自らに言い聞かせているようではないか。

ヒラ歌の詞は、いい加減に一言でくくってしまうなら日常の点描。
それなりに楽しいこともあり、幸せでもある。でも、今よりもっとでっかい幸せをつかむため、未来に希望を持って、大志を抱いて生きよう、そう生きるのだと誓い、宣言している。聴いた者は自然に「自分は大志を抱いて生きているだろうか」と我が身を振り返る。

たぶんこの詞を書いた人は、未来(=希望)なんてそう簡単に見えるものではないこと、とはいえそこで絶望してしまっては終わりであって、“それでも希望は必ずある”と信じて前に進むことが希望を見出すきっかけとなる(そしてそれは恐らく日常の中にある)ことを知っている。あるいは信じている。そういうメンタリティを“モーニング娘。”という架空のキャラクターに与えようとしている。


やはり、この歌には「何か」があった。ありふれたメッセージソングだと思うから、そういう歌が基本的に嫌いな僕は“中身がない”という先入観を持ってしまったのだ。
自分の言動や行動に対する周りの反応を見て楽しむ傾向がある(と思っている。それゆえ誤解されることを恐れないし、常に自分にとっての“正解”を持っている・・・という気がする)つんく♂氏らしい仕事だ。

モーニング娘。やハロプロにおいて、“自らに向けたメッセージ”を歌うというのは珍しいことではない。「I WISH」や「ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!」などはその代表的存在だと思っているし、もしかしたら「いいことある記念の瞬間」や「青空がいつまでも続くような未来であれ!」もそうかもしれない。
それらの系譜に連なるものとして、この曲はあるのかもしれない。

心象風景を歌う、といってしまえばそれほど新しいものでもなかろうが、アイドルの歌うものとしてはユニークだ。なぜなら、ソングライターにとって歌い手そのものは自らの心象風景を託すものではないし、それを託した歌というのは自分で歌ってしまうか深い信頼関係にある歌い手に歌わせたいものだろうから。そしてアイドルとソングライターがそういう幸福な関係を築くことは少ない。

モーニング娘。やハロプロと密接な関係にあるつんく♂氏だからこそできる(やろうという気になる)ものだろう。氏がモーニング娘。を“アイドル”でなく“アーティスト”と捉えているのはこのへんに理由がありそうだ。

ここでも「わたしがついてる。」が対照的だ。「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」の脚本家兼演出家である木村信司氏は純粋な“ソングライター”とはいえないかもしれないが、彼にとってモーニング娘。とは良くも悪くも“出演者”でしかないから心象風景を託すことはしない(彼がそれをするのは舞台という“作品”だろう。イメージソングはあくまでもその一部だ)。したがって、できあがったものは至極真っ当な(そして上質の)他者向けメッセージソングとなる。逆に、恐らくつんく♂氏にはこれはできない。

心象風景といっても、書いたつんく♂氏のそれとイコールで結ばれるというわけでもなかろうと思わせるのがまた複雑で面白い。
あくまでもこれは“モーニング娘。”という11番目の人格の内面であって、氏がそのように作り上げていっているということだ。


かつて飯田圭織の卒業に際し、「THE マンパワー!!!」で“モーニング娘。とは何か”を示してみせた氏が、紺野あさ美と小川麻琴の卒業にあたって“モーニング娘。のメンタリティ”をどう設定しているかを教えてくれる。

そういうつながりにおいて、この曲は間違いなく“卒業記念”だということで納得した。

そうなると第一印象はどこへやら、すっかりこの曲が気に入ってしまったのだから、我ながら現金なものである。


聴き込むとまた違った味わいがある、というのは今の流行ではないかもしれないし、若干ユーザーを信用しすぎてはいないかという気もしないではないが、せっかく身銭を切って買ったものだから、そういうアプローチができるというのはうれしくもあり楽しくもある。

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May 03, 2006

5期メンバーを全力で肯定する・2

当初の目的は果たしたものの、さすがにそこでハイさようならというわけにもいかず、得た資源は有効活用しようと、様々なお膳立てがなされた。作戦の成功に貢献した者への報酬のようなものでもある。
それらのいくつかは成功し、いくつかは無残な失敗に終わったわけだが、大人の思惑に翻弄されながらも4人はそれぞれに自分の地位を確立させ、ひとまとめに語られる存在ではなく、それぞれが独立した個人となった。
事実上、“5期メンバー”のストーリーはここで完結する。

恐らく、選択の機会が与えられたのだろう。
個人メンバーとしてモーニング娘。にとどまるかどうか。
そこで、まだ自分のやりたいことが全部できていない(と僕は思う)次期エースと、卒業しろと言われようものならその場で舌を噛み切りかねないくらいモーニング娘。に愛着を持っているリアクション女王は残り、“個人としてやっていくなら違う道で”と考えた二人は外へ出る。そういう選択をしたのだと思う。5期メンバーというくくりから解放された一個人として、モーニング娘。のメンバーの一人ではない自分への興味が押さえられなくなったのだろう。
帰属意識が薄い?それはそうだろう。彼女たちがまず帰属する集団はモーニング娘。ではなく5期メンバーなのだ。

何かのインタビューで、紺野が「将来は札幌に戻る」というようなことを語っていたのを読んだ記憶がある。そこはもちろん故郷であり、故郷とは5期メンバーになるまでの時間を過ごした場所、すなわち一般人として生きていた場所である。

札幌へ帰ると決まったわけではないが、ハロプロも卒業してひとまず一般人に戻る、という意味で紺野の卒業は元いた場所へ戻るためのものである。

あくまでも想像だが、小川は現在の自分に対し、不満というか納得しきれないものを抱えているように思う。某番組でのいじられキャラという位置づけを拒み続けたのもその表れだろう。
今の自分ではない新しい(納得して受け入れられる)自分を見つけるために、今いる場所を離れて見聞を広めよう。そんな意思が公式のメッセージから感じられる。
つまり小川の卒業は違う場所に行くためのものだ。

「実家に帰って家業を継ぐ」形が紺野。
「東京に出て自分の力を試す」形が小川。

ならば紺野は戻ってこない(戻るとしてもかなり先の話)だろうし、小川は小川で初心を忘れ、誘惑に負けて転落していくということもありえない話ではないだろう。
まぁ、それはそれで一つの人生だ。


100年後もモーニング娘。が存在するのであればいつかは出ていく時が来るものだし、大量加入でもない限り4人いっぺんに出られるはずもない。
だから、出る時は別々なのだろうなと、理屈では理解していたつもりだが、感情がそれを拒んでいた。
どこまでも一蓮托生であってほしかった、という気持ちはある。

時間差で行われる二つの卒業は、単にメンバーが一人ずつ抜けるというものではない。
色々な意味で我々を引きつけてやまない最強ユニットが解散・消滅する時なのだ。特に一人目が抜ける夏ハロや娘。コン最後となる6、7日のSSAは、5期メンバー伝説最終章という意味で歴史に残るビッグイベントとなるだろう。


とはいうものの、終わるのはモーニング娘。における5期メンバーのストーリーだけである。

4人の間の、人間としてのつながりに変化はないはずだ。
たった4人で“モーニング娘。”の歴史、その実績と格闘した日々で心に宿ったもの。
4人で入って、4人で先輩に圧倒され、4人でレッスンして、4人で歌って、4人で語って、4人で泣いて、4人で笑って。
そんな4人にだけあるもの、他の誰にもなく、恐らくは理解もされないものがある。
それは永遠に変わらない。
これが、5期メンバーに託す僕の最後の夢だ。


以上が、僕の見た5期メンバーの物語である。事実と違う部分ばかりだろうが、こんな伝説があったっていいじゃないか。


常にカメラにさらされ、一挙手一投足、一言一句、心の揺れまでもがテレビで放送されるという形で見た者すべてがそれらを共有する共同幻想から、厳重に管理され、出す側に都合のいい情報しか受け取ることができない単なるアイドルグループへ。
開かれたモーニング娘。が閉じていく過程において、ちょうどその転換期に加入したために良くも悪くも実像よりもイメージで評価されることが多かった悲運の少女たち。それが5期メンバーなのかもしれない。

一度ぶち壊さなければ現在ある“新生モーニング娘。”は生まれなかったかもしれない、という可能性を考えるに、僕が4人に、5期メンバーに贈る言葉はただ一つ。

ありがとう。

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May 02, 2006

5期メンバーを全力で肯定する・1

さて、僕は以前あるファンサイトで5期メン応援団長を名乗っていたのである。


5期メンバー。

この字面と響きだけで感慨にふけることができるド変態というのは、僕だけだろうか。そうでないと嬉しい。


モーニング娘。LOVEオーディション2001。
モーヲタとしての第一歩を踏み出したばかりの僕が、ヲタとして初めてリアルタイムで体験する加入劇。
目を引いたのは紺野あさ美だったが、4人に共通するどうしようもない素人くささ初々しさは非常に魅力的だった。


黄金厨と呼ばれる皆さんのおっしゃる通り、「ザ☆ピ~ス!」期のモーニング娘。の一体感の強さ、グループとしての完成度の高さは、アイドル史上に残るものといって過言ではないだろう。
ただ、見ていて“ここが限界”という感触はあった。これ以上の上がり目はなく、あとは下がっていくだけだろうと。頂点を極めるとはそういうことだ。

そもそもモーニング娘。には中澤裕子や石黒彩という“アイドル”の枠組みやイメージというものにフィットしきれない人が必ずいて、そういう意味でのキャラクター的な不協和音のようなものが“ただのアイドルとは違う”雰囲気を出していた。そこが大きな魅力の一つでもあったはずで、そこを受け持つ人材がいない(後に保田圭がそちらへシフトしていくのだが、この時期はまだ移行しきってはいなかった)というのはマイナスではないのか、と思ったものだ。

その一体感とやらをぶち壊し、ゼロに近いところからもう一度作り上げてみよう。
そのために“不協和音”要員として選ばれたのがあの4人であったと、僕は固く信じている。

高橋愛と紺野あさ美と小川麻琴と新垣里沙は、モーニング娘。に選ばれたのではない。
特殊工作部隊・5期メンバーに選ばれたのだ。
4人が時に“5期”とひとくくりで語られる理由がここにある。4人は個人である前に、モーニング娘。である前に“5期”なのだ。

そう考えれば、初期紺野の持ちネタであった「完璧です!」は単なるギャグではなく、「我々は完璧に任務を遂行中であります!」という報告あるいは宣言だったのかもしれないという妄想も可能だ。

目論見は違う意味で大成功を収めた。1~4期と5期の間には厚い壁が生まれ、それまで一体感が強かったがゆえに、先輩と5期はそれぞれに分かれて固まった。恐らくここまで露骨に分かれたのは、他にある時期までのオリメンと2期の例が挙がるくらいだろう。「モーニング娘。に5期メンバー(モーニング娘。?)」という冗談まで出たくらいだ。
本来キャラクターのバランスという部分だけで発生させるはずの不協和音がグループそのものに生まれてしまった。きっと送り手サイドの人は頭を抱えたことだろう。

しかし、いや、だからこそ僕はどんどん5期メンバーに傾倒していくことになる。
“先輩の作った壁に体当たりし、それを壊してモーニング娘。の一員として認められる”というストーリーが(慌てて)用意されたにもかかわらずそれが一向に進まず、壁の手前でウロウロするばかり。なぜなら、加入した時点で“一体感を壊す”目的が達成されてしまったため、何もやることがなかったから。2~4期は“受け入れられる”(受け入れざるをえない事態が発生する)ことによってグループ内に居場所を持つことができたが、5期は4人で一つであったがゆえに、それができなかったように思える。
ストーリー展開としては大失敗だが、その様子がかえってひねくれヲタクのアンテナにSINPO=55555で入感、大いに感情を動かされることとなった。


残念だったのは、“一体感とやらをぶち壊し、ゼロに近いところからもう一度”という目的は達成されたのだが、“ではその後でどういうモーニング娘。を作り上げるのか”というビジョンが送り手になかったことである。これは現在に至るまで変わらない。ビジョンがあったのはせいぜい3期まで、というか3期のみではなかっただろうか。

ハローマゲドンをはじめ、ビジョンも計画性もなく新鮮味だけを追求するかのような性急な世代交代策のことごとくが逆に作用し、それまでのファンは離れ、新規ファンの参入は少なく、お茶の間層の関心は薄れていく。
そしてこう言われるようになる。

無能な5期が娘。をダメにした

これほど甚だしい勘違いも珍しい。
無能というのは能力がないことであるから国民的アイドルグループをダメにできる能力もあるはずがない、という揚げ足取りではない。5期メンバーが(選んだ人に)求められた能力は“ぶち壊す”ことであるのだから、無能どころか非常に有能なのだ。

本当に悪いのは無定見な周りの大人たちである。

主に若年者による凄惨な事件が起きるとゲームやアニメやマンガやネットに原因が求められ、決して“センセーショナルに報道するメディアの悪影響”という話が出てこない(そんなに無力であるはずはないのに)ように、理解不能な事象について、目に見えて、かつ自分(と関係が深い何か)に火の粉が降りかからないものをスケープゴートに仕立て上げるということはよくあることだ。

モーニング娘。がダメになったというのが事実で、手を下した者がいるならば、そこには“スケープゴートを作ることで安心し、本当の敵から目をそむけた者”も当然含まれる。

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March 15, 2006

「SEXY BOY~そよ風に寄り添って~」を肯定するのかしないのか自分でもわからない

さて、

血まみれ上あご脊柱ズレズレ♪

とかいう不気味なコーラスが印象的である。
ん?何か違う?


口パクかどうかはまったく気にしないので、見た人の評価がよろしくないポップジャムはなんとも思わなかった。
僕にとって最悪だったのはそれよりもハロモニ。のスタジオライブ。

イントロの冒頭と1コーラス歌った後の、メンバーが入れ替わり立ち替わりカメラを覗いて笑顔を見せるところ。問題はここだ。
振り付けの意図としては、“巷で噂のSEXY BOY”を見かけた際のリアクション、という感じだろう。それはわかる。何の問題もない。

しかし、その意図は伝わってこなかった。考えに考えてようやくたどり着いた解釈だ。
見た時に感じ取ったのは別のものだったのだ。

あの目は“巷で噂のSEXY BOY”を見る目ではない。どちらかというと“学校(仲間内)で噂の変質者”を見る目だ。
自慢することではないが、三十代無職独身・学歴資格免許人脈どれもなし・BMIによる肥満度3・違う意味で子供好き、しかもヲタクというマイノリティ街道一直線の身として、日常的に受けている好奇と侮蔑と拒絶の目。それらとまったく同じものをメンバーの動きや表情から感じ取ってしまったのだ。

そんなことを感じたのは僕だけかもしれない。かかりつけの医者で自意識過剰と言われたこともあるし、もしかしたら神経症ぎみなのかもしれない。

とはいえ、とにかくこんなに見るのがつらいモーニング娘。のパフォーマンスはなかった。不愉快になったし、傷ついた。「そんな目で俺を見るな」と苦しみの涙を流しながらモーニング娘。を見たのは初めてだ。

PVでは無表情にも思えるほどクールにカメラの前を移動していくので、それが“さりげなく自分をアピール”と感じさせるものになっている。ということは、あれは番組サイドの演出だったのだろうか。だとしたら大失敗だ。同じような演出をされたらと思うと、今後出演予定の番組を見るのが怖い。でも見る。僕はモーヲタだからだ。ヲタクとは現実逃避の時間を多くとっている人なのだから、そのために使っているものからは逃げられない。逃げてしまったら、現実世界にも仮想世界にも居場所がなくなるのだ。


そういうことを抜きにすれば、嫌いな曲ではない。
とにかくノリがいい。どういいかというと、サビでダンクーガの合体シーンが頭に浮かぶくらい(わかりづれー)。DVDを借りて後期OPを見たのだが、脳内ではなかなかのマッチングだった。他にも「超攻速ガルビオン」のOPなんか合うかもしれない。スピード感がもっともマッチするのは「超時空要塞マクロス」の戦闘シーンだろうな。

80年代のサンライズアニメで育った視線で見ると、泥臭い東映系でも独特の無国籍感漂うタツノコでもなく、洒落っ気は十分なんだけどなんとなく垢抜けなくてどこかちょっとユルい葦プロとか国際映画社とかを思わせる(両方がクレジットされているバルディオスは見たことないから雰囲気がわからない)。J9シリーズに合うかどうかは微妙だが、“巷で噂のSEXY BOY”なんてまるでJ9(烈風隊でもJJ9でも可)やゴリラのことを歌っているようだ(「亜空大作戦スラングル」って知ってる?)。

インストゥルメンタルを聴くと、テクノ歌謡にちょっと山本正之(「タイムボカン」シリーズやJ9シリーズ、「燃えよドラゴンズ」で有名)っぽいギターが乗っかっている曲とわかる。テクノ歌謡と聞いて思い浮かべるものは人それぞれだろうが、僕の頭に真っ先に浮かんだのは「ハイスクールララバイ」(イモ欽トリオ)。

試しに「100%片思い~血まみれ上あご脊柱ズレズレ♪」と歌いながら踊ってみたらこれがジャストフィット。正式な振り付けより気に入った(笑)。

振り付けといえば、アップフロントワークスのHPに掲載されたり、コンサートでチラシが配布されたりしているのだが、あれは余計なお世話だと思っている。
どう合いの手を入れようがどう踊ろうが、それはこっちの考えることではないだろうか。たとえそれがマンネリだったりとんでもなくダサかったりキモかったりしたとしても。

“みんな一緒に踊りましょう”は、あくまでも“みんな一緒に(勝手に)踊りましょう”であってほしい。そんなところまでコントロールする気かよ、と本気であきれ返った。
そもそも、中途半端にパラパラを採り入れたようなこの振り付けが、一緒に踊りたくなるほど魅力的なものとは、僕には思えない。むしろタイガーしてた方がクールに感じるくらいだ。

踊りたいという人にやめろというほど傲慢ではない。ただ“横振り(左右に足を動かしながらリズムをとる)しながら手を動かす”というのは普段から振りコピしている人でないと相当に難しい。くれぐれも練習は積んでいただきたい。適当に手振りだけ合わせるとかみっともないので。

僕?僕は踊らない。できないのがわかってるし、練習してまでうまく踊ろうという気はない。そこで頑張らなくてもステージとの一体感は味わえるはずだ。
“踊る”と“踊らされる”の区別はつけたい。

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March 01, 2006

今度は真面目に「レインボーピンク」を肯定する

さて、なんとか慣れたのである。


この曲も“重ピンク、こはっピンク”も、色物であるという認識はそれほど間違っていないだろうと思う。
しかし、考えてみればモーニング娘。そのものが企画物という一種の色物だったではないか・・・という話は前にどこかでしたような気がする。
それはそれとして、今までハロプロにこれほどまでに“色物”を感じさせるものがあっただろうか、と考えてみたら、それに近いものがあったのを思い出した。

ミニモニ。と三人祭である。

ああいう感じの、ハチャメチャだったりブリブリだったりしていて、なおかつ曲はしっかり作り込んで(特に初期のミニモニ。における音楽的な“仕掛け”は、わかる人には高評価だったように記憶している。僕はわからなかったが)、勢いで突っ走るようなものをもう一度やってみよう、という試みだったのかもしれない。

ミニモニ。デビューも祭シャッフルも2001年。まだまだ勢いが残っていた時代だ。同じことを二度も三度もやるのはロックではないが、こういうことがまだやれる余裕のようなものは、なんとなく気分がいい。虚勢を張っているのかもしれないが、そんな元気が残っているということは、悪いことではない。

あ、プリプリピンクってのもあった。あれももしかしたら“こういう冗談は今も通じるだろうか”というテストケースだったのかもしれない。肝心の楽曲で腰が引けてたようにも思うが、“ふり幅”としては上出来だった。

前回の更新を読んでくれたヲタもだちと電話で話していた時、自分でも思いもよらなかった言葉が口をついた。
ヲタクじゃない人がイメージする“アイドル”ってコレなんだろうけどさぁ、こういうの今まで出てきたことは、メジャーシーンでは一度もないんだよね」

自分で言って驚いた。確かにその通りなのだ。
ポピンズかもしれないし、もしかしたらCottonかもしれない。Fairy Tale(というか水野あおい)だったりするかもしれない。他にも探せば似たようなアイドルの名前は挙がるだろう。
しかし、それらはみなメジャーになりきれず、データとマニアの記憶と彼らのレコード/CDラックにのみその存在をとどめているものではないだろうか。

それなのに、なぜこういうイメージが持たれ、浸透し、あまつさえ肝心のヲタクまでこれが“王道”だという解釈をしがちなのだろう。そもそもなぜ僕は《ヲタクじゃない人がイメージする“アイドル”ってコレ》だと思っているのだろう。
以下はあくまでも僕の仮説である。こういう“歴史的・社会的な考察”に興味のある人は挑んでみてもけっこう面白いテーマかもしれない。ちょっとおすすめ。というか色々な意見をうかがいたいので是非。

モノマネから派生したのかな、という気がする。いわゆる“ブリッコ”という言葉が流行った時代に、ブリッコの象徴たるアイドルの真似をする芸人がいたような記憶があるし、それを見た者がモノマネのモノマネをするのを見たようにも思う。モノマネというのは特徴を誇張するものだから、モノマネのモノマネ、モノマネのモノマネのモノマネ、・・・という形で視聴者レベルで再生産を繰り返していくうちに、それを見た人の意識に“こういうもの”と刷り込まれていったという可能性はある。

その手のモノマネにはリスペクトはなく、揶揄する意図という悪意があった。つまりそれを刷り込まれた者はそこに込められた悪意も共有するのである。悪意というものは容易に伝播し、不思議と共感を得やすいのだ。

であるならば、アイドルというものは長い間悪意に晒されてきたということもできる。そしてファンである僕もそれを共有していたのだ(似たものには“ヲタク=キモイ”という先入観がある)。
そんな悪意に対し、抗うでもなければ無視するでもなく、開き直るというか逆手に取るというか、そんな形で遊んでしまうというのは、リアクションとしてはなかなかのイヤミであり、“揶揄する者を揶揄する”という悪意はなかなか痛快である。


表面に現れたものが萌えを誘発する“記号”に満ちているからといって、素直に萌えてしまうのは単純すぎる。萌えのイニシアチブを明け渡してしまうのも釈然としないものがある。
かといって眉をひそめ、拒絶してしまうのもスマートな態度ではない。“釣られた”という点では変わりはないからだ。

けっこうリアクションに困る存在なのだが、少なくとも前回と今回の更新が野暮の極みなのは確かなようだ。


それにしても“重ピンク、こはっピンク”という名称は長い。デビューするしないはどっちでもいいが、ユニット名だけでもつかないものだろうか。
ピンクつながりで“リトル・ピンク21(トゥエンティワン)”なんか悪くないと思ったが(元ネタわからなさすぎ)、道重さゆみも久住小春もそんなに“リトル”じゃないんだよなぁ。

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February 23, 2006

「レインボーピンク」を違う意味で肯定する

さて、僕の負けである。“わたしまけましたわ”SAY!“わたしまけましたわ”YO!


アルバムを3周くらい聴いたときだろうか。この曲が“何かに似ている”と思ったのだ。直接的な流用や引用でなく、曲の持つ雰囲気が。

脳内データベースを検索。1件がヒットしました。

ポピンズ
デビューした1986年の時点で古臭くなっていた、というよりどの時代でも一部の好事家にしかアピールしないであろう“妖精”“メルヘンチック”というコンセプトを採用し(次第に薄れていったが)、おニャン子ブーム真っ只中に登場したデュオ。ちなみに僕は好事家なんて粋な言葉には縁がないが、解散までFCに籍を置いていた。

「レインボーピンク」を聴くときに感じる何か聴いているこちらの方が照れてしまうような、色物ギリギリの“うわこれはもしかしていろんな意味でヤバイかも”という感覚、コンセプト優先で徹底的に押しまくろうというその姿勢は、ポピンズのデビュー曲「妖精ポピンズ」を毎日聴いていた高校2年生(こっちの方がヤバイか?)の頃に感じたものと同じだ。そんなものを照れもせずに堂々とやりきっている“重ピンク、こはっピンク”にもやはりポピンズを感じる。余談だが、ポピンズの2人は互いに似た顔立ちで、何かで「双子ですか?」「双子じゃないです」というやり取りを見たような気がする。このへんはWに先んじている。

20年の歳月を経て、時代がようやくポピンズに追いついたのだろうか。
そんなに先行ってたかなぁ?先か後かっていうよりは異次元って感じなのだが。


しかし、つんく♂氏がコレを知っているとは思えない。そうだとしたら相当のマニアだ。ただ吉本興業所属だったから、もしかしたら関西では関東より知名度があったという可能性はある。

そういえば、この吉本興業所属というのがポピンズのプロモーションには思わぬところで影響した。吉本初のアイドルということで“事務所やレコード会社が初めて手がけるアイドルはスタッフにノウハウがないから売れない”という定説にハマったのも事実だが、もう一つある。

事務所の大先輩であり、この時すでに売れっ子だった明石家さんまの逆鱗に触れたのだ。

データを残していないので記憶を頼りに書く。
彼のラジオ番組「明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送」に呼ばれたはいいが、何らかの手違いがあって挨拶に行けなかった。“来なかった”と判断したさんまは礼儀に厳しい人だけに激怒し、その日の出演を断ったうえ、放送中に「俺の番組には二度と呼ばん」と宣言。

僕はヤンタンを聴いていないので(昔はSONYのICF-EX5という名機を買ってまで遠距離受信をしたものだが、今はそんな気力がないしラジオも壊れた)、ラジオでのキャラクターがわからない。したがって彼がどこまで本気で発言したのかはわからないが、言葉の上でだけでもそこまで先輩を怒らせた新人をプッシュするのは、事務所としても腰が引ける。彼女たちが素材と楽曲に恵まれたにもかかわらず活躍できなかったのは、これも大きな要因ではなかったかと思う(そんな不利な条件でもブレイクさせようと試行錯誤したりメディア露出に力を注いだりしたスタッフがいたことは、彼らの名誉のために記しておく)。恨みに思っているというわけでもないが、僕は今も明石家さんまが嫌いである。


話が脱線したが、“重ピンク、こはっピンク”も「レンボーピンク」も、甦ったポピンズであり「妖精ポピンズ」であるという点で気に入ることにしたという次第である。

残念なのは、たとえば春コンでこの曲が歌われるとして、冗談で「ポピンズ~!」と叫んでみても誰もわからないだろうということ。制服向上委員会の客席ならわかる人は大勢いる(むしろわかる人しかいない?)のだが。でも一応やろうかな。5月7日のSSA夜しか確保してないけど。どうせやるなら“客席内にはそこそこ届くがステージには届かない”くらいの広さのところがいいんだよね。

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February 18, 2006

「レインボー7」を肯定する・3

さて、補足である。


まずは修正を入れたので中途半端なものになった「INDIGO BLUE LOVE」の話から。

新垣里沙・亀井絵里・田中れいなといえば、久住小春とは違う段階で伸び盛りの3人である。なかでも亀井。ハロモニの絶叫コマーシャルや最近の「娘DOKYU!」などで“できない子”ぶりを繰り返し見ていたせいか、彼女の能力を不当に低くみていたようだ。


そして、見事に釣られたおかげで大事なことを見逃していた「女子かしまし物語3」の田中パート。前回書いたようにナントカ番号の唄をそのまま持ってきたわけだが、意味のないパクリではない。オリジナル発表時点ですでに“ナントカ番号の唄みたい”と揶揄されていたのをつんく♂氏が知らないとも思えない。であるならば、これは間違いなく何かを狙ってやっているのだ。

ナントカ番号の唄といえばおニャなんとかクラブ。おニャなんとかクラブといえば秋元康氏である。
氏が最近、久々の大型プロジェクトを立ち上げたことは皆さんよくご存知である。さらにはあの夏まゆみ先生まで参画している。

どちらかというとハロプロより制服向上委員会に近いような気がするが、ある意味ケンカを売られたようなこのプロジェクト、秋元氏や夏先生に対して、「そのケンカ買った」というか、そこまでいかなくとも「意識はしてますよ」というメッセージ。それがあの歌詞の背景ではないだろうか。その意思が伝わっているならば、今ごろ秋元氏は「やりゃあがったな」とニヤニヤしていることだろう。


それにしても残念だ。
いつものように春コンのチケットを1公演しか押さえていないのだ。このアルバムを中心にしたコンサートなら2~3回くらい見たい。でももう関東はスーパーアリーナしか残ってないんだよなぁ。ホールクラスも押さえればよかった。
アルバムよりチケットの発売が早いからこういうことになる。どうしても見たいならオクに頼るしかないわけで、そりゃ転売もなくならんよ。
“ヲタだけじゃスーパーアリーナ埋まらないからより多くの一見さんを呼び込もう”ってのもわからない話じゃないが、それはそれでチケットの一般発売が1ヶ月以上先(3月25日)で公演が5月というのは間が空きすぎている。こういう詰めの甘い営業戦略はなんとかならないものか。

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February 15, 2006

「レインボー7」を肯定する・2

さて、年に一度の耳で聴くバラエティショーである。


結論からいうと、色々なコーナーがあってけっこう楽しめた。このくらいやってくれれば文句をいうところはない。今どきモーニング娘。のアルバムを金払って聴くような酔狂なファンには受け入れられると思う。初めて聴く人にはどう思われるかわからないが、「まぁちょっと聴いてみてよ」くらいは言える。
いい悪いではなく、面白い。そんなアルバムだと思う。

以下、全曲レビュー。

(未聴かつネタバレを避けたい方はこの先を読まないように。といってもみんな買ったよね?聴いたよね?ね?ね?)

1.HOW DO YOU LIKE JAPAN?~日本はどんな感じでっか?~
日本DEATH!(←聞き間違い)これをシングルにしても面白いと思う。ハードロックなのかヘビーメタルなのかよくわからないが、とにかくかっこいい。マーティー・フリードマンに弾いてもらうともっといいと思う(笑)。あの人つんく♂氏の曲大好きだから。

2.THE マンパワー!!!
1曲目とのつなげ方が気持ちいい。これをはじめ既発のシングル曲はヴォーカルの録り直しをしていないので、
( ^▽^)<ホモォ~サ~ピエェ~ンス♪(トントン)
川 ゜皿 ゜)|| ノ<ホモーサーッ~ピエェーンスッ!♪
も楽しめる。
あらためて聴くとホントいい歌だなこれ。人間讃歌だよ。

3.青空がいつまでも続くような未来であれ!
「でっかい宇宙に愛がある」「いいことある記念の瞬間」系。ブラスが気持ちいい。70年代のアニメ・特撮ソングで育ってるからラッパが鳴ってる曲には弱いのだ。あとストリングスとティンパニ。「ジャンボーグA」なんて朝日ソノラマのソノシートに始まって30年以上聴き続けてるけど未だに飽きない。

4.大阪 恋の歌
色々とよくないことを思い出すから、正直あまり聴きたくない曲ではある。飛ばす。

5.INDIGO BLUE LOVE
基本的にモーニング娘。にバラードはあまり必要ではないと思っている。しかしこれは気に入った。昨年の春コンで「ふるさと」を歌い上げた高橋愛・新垣里沙に亀井絵里が加わって、美しい声を聞かせてくれる。ガキさんは歌もよくなったなぁ。高橋ではなく田中れいな。聴いた時に「あ、高橋だ」と思い込んでしまった。聞き分けができていないのがモロバレである。反省反省。

6.レインボーピンク
発売前から話題になっていた曲。何かコメントしたら負けだと思う。“釣り”とか“煽り”とかそういう類のモノ。あるいはネタ。萌えとは(以下略)。曲そのものはよくできている。

7.色っぽい じれったい
あらためて聴いても印象に残らないなぁ。頑張ってた曲なのにねぇ。リリース時にも書いたが、BGMとして流しておくには最適。意外にそういう曲は少ないのだ。

8.無色透明なままで
お姉さんチームがしっとりと聴かせる。アクティブなイメージが強い吉澤ひとみ・藤本美貴の違う一面が存分に味わえる。まったく関係ないが、“むしょく”と入力すると最初に“無職”と変換するウチのIMEを誰かなんとかしてください。けっこう傷つくんだぞ。

9.パープルウインド
かつて大きな感動を呼び、保田圭卒業コンサートの日に今は無きかみのやま競馬で開催された“ケメコメモリアル保田記念”のファンファーレにも使用されたことでも知られる(いやそこまで知ってる人あんまりいないから)「卒業旅行~モーニング娘。旅立つ人に贈る唄~」以来の旅行モノ。今回は卒業がらみではないのでひたすら元気よく走る。

10.さよなら SEE YOU AGAIN アディオス BYE BYE チャッチャ!
十中八九春コンの最後で歌われるであろう(恐らくそのために作った)曲。ただそれだけではなく、聞き逃してはならない言葉がある。

100年後もきっと 素敵な地球 素敵な私たち

100年後にはステージの上の人は恐らく全員この世にいない。客席の連中でも、子供客の何人かが残るかどうかだろう。
ではどういうことか。簡単である。
100年後もモーニング娘。は存在し、新たなファンとの幸せな時を過ごしている
という宣言だ。

11.直感2~逃した魚は大きいぞ!~(全くそのとおリミックス)
勢いがほとんど限界まで加速していて、何がなんだかわからないうちに曲が終わる(笑)。
実は、直感シリーズがあれば「LOVEマシーン」は卒業メンバーズに献上してもいいんじゃないかと思っている。そうしてでも新生モーニング娘。はこの曲を育てていってほしい。

12.女子かしまし物語3
この曲こそもう少しアレンジを変えてほしいんだけどなぁ。
年寄りしかわからないネタなので負けを覚悟で釣られてあげたいのが田中れいなパート。それやっちゃまんまナントカ番号の唄じゃないか。29番さんの。アレは正・続・新の3作で終わったが、これはいつまで続くのやら。
紺野パートでつぶやきシローを起用しているのには、その余計なこだわりに感動した。モノマネにしちゃうまいなぁ~と思ったが、歌詞カード見て吹いた。

 ず~いぶん人数~減~ったから~♪
 と~ちゅう~で飽~きなくな~りました~♪
 10~人くらいがい、ち、ば、ん、ちょうどいいか~もね~♪

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「レインボー7」を肯定する

さて、旧JASのボーイング777-200型旅客機である。インドの山奥とかアニメ版のロボットとかベタなことはいわないもーんだ。べろべろぽっぽー。飛行機ヲタではないので細かいところを突っ込まないように。


気をつけて受け止めなくてはならないのがジャケ写とCDのレーベル面。
白と黒。
どちらも虹の色には含まれていない(※)。
ここにはきっと、何か意味がある。


(※)虹の色の数と種類というのは国と地域/民族/文化によって違うそうで、黒を含む文化もある。参考1

白は光。光が屈折と反射を繰り返すことで虹ができる。つまり、白は虹の源。
黒は影。光がないので虹はできない。

光の三原色である赤(Red)緑(Green)青(Blue)をそれぞれの最大値(255)で混合すると白になり、色材の三原色である黄(Yellow)赤紫(Magenta)青緑(Cyan)をそれぞれの最大値(100%)で混合すると黒になる。
参考2 参考3 参考4

すべての色は白または黒が枝分かれしたものともいえる。“無色透明”を含めた様々な色の名を付けた曲をパッケージするものは、ともに究極の色である白と黒でなければならなかったのかもしれない。

すべてを塗りつぶす黒、すべての色を通す白。

あらゆる色を暗くする黒の強さ、淡くする白の強さ。



私たちは何色にも染まり、また何色にも染まらない。
私たちからすべてが生まれる。


以上、ここまで聴かずに書きました(笑)。聴いた感想はまたいずれ。

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February 12, 2006

テレビ東京で2月12日に放送された「ハロー!モーニング。」を肯定する

さて、“よくやりました”である。


(以下、ネタバレといえないこともないかもしれないと考えることは不可能ではないと思われる記述あり)

まぁ仮に一部のヲタと同じく木曜の昼頃に情報が入ったとする。そこから、

放送するかしないかを会議で決める。
収録済みのVTRをあらためて編集しなおす。
尺が足らないのでどうするか決める。
松浦のスタジオライブにPVを挟み込む(すでに作ってあった可能性もなくはないが、放送する予定のないものはわざわざ作らない)。
マジレス名場面集の素材を集め編集。必要があればマジシャン側に連絡をとる(出演交渉時にVTRの再使用についてどういう約束を交わしているのかは不明だが、肖像権の問題もあるので勝手にやるというわけにもいかないだろう)。
アルバム発売告知Vを作る(次週はもともと放送予定がなかったため、用意してあったかもしれない)。
完パケにして納品。

ここまでの作業を2日半~3日弱でやったことになる。できないことではないし、某局がかつて放送していたバラエティ番組では“午前中のオンエアなのに当日になっても編集が終わらず、バイク便でギリギリ納品”ということをやっていたらしいので、業界内では珍しいことではないのかもしれないが、TXも制作会社(使っているのなら)もハロモニだけを作っているわけではなく、完全に“余分な手間”なのだ。

だから本当に“よくぞここまでやってくださいました”という仕事だと思う。文句をいったらバチが当たる。

ありがとう。お疲れ様。


(追記)
他の番組のようにテロップを流すだけでもよかったのに、という意見もあるようだが、それをさせなかったのは“モーニング娘。やハローのメンバーが好きな人はみなこの番組を見るのだ”という冠番組の矜持や責任感だったのではないかと思う。

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