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2008.04.13

コメントレス

・・・そろそろ話に加えていただいてもよろしいでしょうか(笑)。

>痛井ッ亭。さん
リンク先含め拝読しました。正直いって「これは痛井ッ亭。さんが食いつくかな」と思ってもいたので、反応していただけて嬉しいような、予想が当たっちゃったのがかえっていたたまれないような(笑)。
あー、「座長さん???」と思ってたらそういうことでしたか。検索回避をするとロクなことになりませんな。
とはいえ、どことなく話がつながっているように感じられないこともないわけで、なるほど「普遍的」なのかもしれません。


そう、「普遍的な図式」であることは確かだと思います。
ただ、その図式の中で「利用しあう」ことができず一方的に利用されて疲弊したのがK嬢(だけに限らないのかもしれません)ではなかったのかな、と思うのです。
我々は、たとえば「個人は企業に労働力を提供して報酬を得る、企業はその労働力で事業を進め利益を得る」のように日常的に利用しあっている。なぜ日常的に行い得るかといえば、「提供する・される」のバランスが(かろうじて、ではあったとしても)保たれているからだと思います。
しかし、我々一般的な生活者程度のしたたかさを体得しなかった者(彼女の「弱さ」の根源はそこだと考えます)がその図式の中に取り込まれたら、「提供する・される」のバランスは崩れ、一方的に消費されて消耗するだけではないか、その果てに起きた(図式への抵抗として起こした)いくつかの出来事によって彼女は今の立場に追い込まれたのではないのか、と思います。であるならば、再びバランスの崩れた関係を求める(彼女がしたたかさを身につけたとは感じられないのです)ことは重大な誤りではないのか、そんな風に考えるのです。
一度目の謹慎生活でOLのような仕事をしていた姿を雑誌で見た時は「ああ、落ち着いてるな」と思ったものでしたが、先日東スポの1面を飾った例の変な髪型の写真を見た時には「あー、だめだこりゃ」と感じたのです。内面の不安定さが出てしまったような、そんな表情に思えました。


ここ何年かのうちに、ハロプロは様々なスキャンダル(と呼ばれるもの)に見舞われましたが、安倍さん関連のいくつかと村上さんの脱退(これについては妄想めいた仮説を持ってまして、機会があればどこかに残しておきたいと思っています)、後藤さんの某身内の件を除くと、そこには共通点があったように思えるのです。
「愛されたい」「愛されているという確かな手ごたえがほしい」という切ない欲求。
それを満たせなかったところにファンとして慙愧に耐えない思いはあるのですが(「ファン」でしかないものにそこまで求められても、という気もしますけど)、欲求そのものは自然なことでしょう。そういう意味では、ハロプロは決して「スキャンダルまみれ」ではない、というのが僕の考えです。


愛されるとは何か、というのは様々な考えがあると思いますが、その一つに「許される」ことがあるのではというのが僕の考えです。
ありのままの自分でいていい。それを許す人、許す場所を得たときに人は「愛されている自分」を感じるのではないでしょうか。そう考えると「演じる」ことを求められる芸能界という場所は愛を得ている人の場所であり、愛を求める人の居場所としては適当ではないのではないかと思えるのです。


もし、あの件が「自分の名と姿を持つ虚像を破壊する」ために行われたものだったならば。
再び別の虚像を背負わされることになる(のでしょう)彼女が次に選ぶ道が「虚像から逃げられない自分そのものの破壊」あるいは「自分に虚像を押しつける他者の破壊」でないとは僕には断言できないのです。
22年前を振り返った日の話のマクラに使ったのは9割以上偶然ですが、残りはそういうことなのです。


復帰に際しては様々な応援があったことと思いますし、いわゆる「後ろ盾」のような存在もあるのでしょう。
僕が引っかかっているのは、その「後ろ盾」には、たとえば「ひとまず自分(または知り合い)の会社で働いてみないか」というような「復帰以外の道」を示してあげることができなかったのか、まず復帰ありきで物事を進めていないか、それによって利益を得ようとしていないか、ということです。人助けをしようという意欲は賞賛に値すると思いますが、「リスクも含めて、この人の人生をしばらく引き受けよう」という覚悟がないような、初めから腰が引けているような印象を持っているのです。
消耗しきった人間が再び立ち上がるのに必要なのは、顔が見える存在から「あなたが必要だ」と言ってもらうことだと思うのです。残念ながらそれは「ファン」の領分ではない。なのに単純に「お待たせしました」とこちらに放り出されても、同じことを繰り返すだけです。それは不幸でしかない。
周りの人々の「本気」が伝わってこないんですよ。それで何ができるというのでしょう。
まぁ、だから「後ろ盾」なんでしょうけどね。盾が後ろにいてどうするんでしょう。矢を受ける気のない盾なんてデッドウエイトにしかなりませんっての。


前途多難どころの話じゃない、もっと悲惨なことが待っている。そう思えてならないのです。
「このままでは終われない」という気持ちを本人が持っていればいいんですけどね。




>たんぽぽさん

僕がうかつに「罪」という言葉を使ってしまったのがいけなかったのでしょう。

彼女が実際にやらかしたことについては、ルール違反である以上明確な「罪」です。そこで甘い態度をとってしまえば、大げさにいえば社会の崩壊を招きます。
与えられた罰についても特に不当であるとは思っていません。解雇はないだろう、と思ったこともありますが「イエロー2枚で退場」「執行猶予中の再犯につき量刑加算」と考えれば不自然なことでもないでしょう。また後輩たちの教育上からも妥当だったといえるでしょう。
そして僕らがそれについて必要以上に責任を感じることもないと考えます。社会を構成する一人として「共同正犯」であることは確かでしょうが、僕らに責任があるとしたら、彼女に「愛されている自分」を感じさせることができなかった力不足の方がより重いのではないでしょうか。


僕が問いたかったのはそういうことではなかったんです。
業界に戻ることが最善の道なのか。それならば初めから道を外れることはなかったのではないのか。消耗させられ、迷いの中に叩き込まれたからああなったのではないのか。せっかくそういう場所から抜け出せたのに、再びそこに戻ることを求められる(強制される、かもしれません)ような目になぜ遭わなければいけないのか。そんなことが許されていいのか。もういいじゃないか。解放してあげるわけにはいかなかったのか。いかなかったとすればそこには何があるのか。
求めれば求めるほど「愛」から遠ざかる。そんな悲しみで塗り込められた人生を送らなければならないほど、彼女は悪い人間なのか。
なるほど、確かに悪いことをした。しかし「悪いことをした人間」と「悪い人間」はイコールではないはず。


これは僕の思い込みなのですが、どうしても彼女は「救いを求めている」ように、そしてそれが与えられていないように、周りの人間は救いを与えない自分を正当化することに熱中しているように、見えてしまっているんですよ。じゃあお前はどうなんだ、と問われれば「それは僕の役割ではない」といって逃げるのですが。ああ、僕が一番卑怯な人間ですね。
「救い」なるものが何なのかはわかりませんが、「この業界はあなたを幸せにはしない」と思っている僕は「積極的には応援しない」という態度をとるのが一番正直なのかもしれません。痛々しくて見ていられない、という気持ちが強いということもあります。




>お二人
普段の僕は「俺が正しい。またそうでなければ納得しない」という傲慢な人間なのですが、この件に関しては僕が間違っていることを祈りますし、間違いであることを彼女自身のこれからの歩みによって証明してほしいという気持ちでいっぱいです。

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コメント

えー、きっちり釣り上げられた痛井ッ亭。でございます(笑)
>この件に関しては僕が間違っていることを祈ります
残念ながら(?)オーガさんは圧倒的に正しいと思います。
僕もまったく同じ意見です。
K嬢にはすぐれた才能があると思うし「女優」として活躍することも力量としては可能だと思うのですが、今回の復帰のありかたは疑問です。
ぶっちゃけ、「女のど自慢的不幸自慢」は下品だし、見たくない、と感じてしまうのです。

投稿: 痛井ッ亭。 | 2008.04.14 06:02

少しぼやけてしまった感じがしますがひとつだけ

>解放してあげるわけにはいかなかったのか

いくつか某所でも、そっとしておいてあげたかったというような言葉を見たんですけど、僕は「そういう、彼女が安らげるような場所が本当にあるのか(あったのか)?」ということを考えます(安らげる場所がなかったからリストカットしてしまったのではないか?)。復帰しないままに、在野での暮らしを想像すると、彼女はずっと「二度の違反で失脚した不幸な人間(=敗者)」として歩かねばならないし、そういう負の好奇の目で見られながら、認識されながら歩いていかなければならない。特に彼女は自分で自分を追い詰める人間だとしているので、それはかなり辛いことだと思うんです。でも、復帰して、「一度は転落しながらも、幾つもの苦難を乗り越えて見事復帰を果たした」という勲章をぶら下げてこれから生きてゆけるとすればどうでしょうか? また、それから再び野に下りるにしてもうまくゆけば今度の幕引きは、他者からの已む無しの強制幕引きではなく、何かの目的を成し遂げた自らの誇りある幕引きになると思うんです。それは同時に今度は勝者としてこれからの時間を歩むこととなる、歩むことができる、ということにはならないでしょうか。回りの目も幾分か安らかな、温かいものになる。その方がさらによりよい解放だと言うことはできないでしょうか。

『彼女に「愛されている自分」を感じさせることができなかった力不足の方がより重いのではないでしょうか。』という部分は僕も痛感しております。ぼくもそちらの方が重いと思っております。でも彼女は帰ってきました、もう一度チャンスができました。

僕も、本当はこうした方がよかったのではないか? みたいなことを考えたりするんですけど、たとえそこで答えを見つけ出せたとしても僕らはたぶんそれをどうすることもできない。賽は投げられてしまったというか、言っても仕方のないことは言っても仕方のないことだというか、ファンの悲劇はタレント(アイドル)とのその距離ゆえに求められているものが理解ではなく支持なんだと、でもそれを呑み込むしかなくて、結局僕は上記の考えの下、彼女がいつかぶら下げるその勲章の一部になることができればと考えております。

またまた長文失礼しました。

投稿: たんぽぽ | 2008.04.14 12:35

>痛井ッ亭。さん

>下品
一言でいえばそうですね。あざとすぎるというか。なりふりかまっちゃいられない、ということかもしれませんが、そこに僕は「他者の思惑」の存在を感じるんです。
女ののど自慢は「しょせん他人事」と楽しく見ていられたわけで、今回の件も大衆の大勢の意識はそんなところかもしれません。世界には愛が足りないなぁ。

「女優」という選択肢にも安直さを感じます。10年くらい前に雑誌記者の人から聞いた話で確認をとったわけではないのですが、その当時でも「『女優』としてプロダクションや劇団に在籍している人は約7万人いる」ということでした。そんな世界に飛び込んじゃっていいのかな、という不安が拭えません。


>たんぽぽさん

>安らげる場所がなかった
なかったというより「作られなかった」「あえて作らなかった」のではないか。そう思うくらい僕はこの2年間彼女の周囲にいた人々を信用できないのです。
「そういう場所は自分で作るものだ」というのも一理あるんですがね。

>リストカット
そうそう、その話を忘れていました。
やったことのある僕には「だから何?」でしかないことなんです。ああ、そういうことを表に出したことに対する不愉快さがこの件に対する僕の言葉すべての根底にあるのかもしれません。
「自分の経験を元に話す」ことは時に真実から離れるだけになってしまうのですが、あえてそれをするならば、アレは「死にたい自分」と「生きたい(活きたい)自分」との折り合いをつけるためのものなんですよね。死のうとする(実際には相当深く切る等の工夫をしないと、ただ切っただけでは死ねないものです)ことで生きたい自分を発見する、みたいな。現在存命であるということはその発見ができたのかもしれないということで、そこには希望があります。もしかしたらようやく「強さ」を身につけることができるのかも。
一度やったら繰り返す人もいるという話ですが、僕は一度でやめられました。だって痛いんだもん(苦笑)。
問題は「そこまでやった人をどうするのか」ということなんですが、そういう部分でのビジョンが見えてこないのは歯がゆいです。そこで間違えたり無策だったりすると、僕のように15年くらい迷った人生を送ることになりかねません。僕には矢島舞美が現れましたが、そんな幸運はそうそうあるものではありません。


>チャンス
そうとらえることもできますね。ただ僕の感触では「ギャンブル」なんですよねぇ、負けたら命がなくなるくらいの。そんな勝負はしたくないです。
自分で自分を追い詰めすぎないための適切な助言を与えてくれる人に出会えることを祈っています。そうすれば心理的傾向を芸術的能力として生かせると思いますので。

投稿: オーガ | 2008.04.15 00:36

オーガさん……だから重たいですって……

>そういうことを表に出したことに対する不愉快さ

 ねえ、ほんとです。
 僕は、あいぼんは確かに幼稚だったしアホだったとは思いますが、それほど悪いことをしたとは思ってないです、ぶっちゃけ。だからといって喫煙を積極的に擁護はしませんが。
 もう一度華やかな世界で頑張りたい、という気持ちも、それがどういういたたまれない事情を引きずっていようと、肯定できます。
 問題は、今回の復帰の姿です。梨本氏とのインタヴューをネットで流し、辛い過去を「激白」(芸能雑誌風に言えば)して話題を生む、というのは、あまりにも安っぽい、安易な方法論にみえるのです。
 本気で女優を目指すなら、どこかの小さな劇団に入り、それこそドブ板を踏んで、実力で役を勝ち取り、世間がそれを認めてくれるまで黙々と努力する、とか、それぐらいの覚悟でやったらいいのに、と思えるのです。そうしたら安っぽく「不幸」を売りにした演出をされることもなく、晴れ晴れと活躍できるのでは。
 過去の知名度を生かして効率的に再デビューと考えている(周りについている大人たちがね)のなら、足を引っ張るようなバッシング報道も已むことはないように思えますし、そこが不安です。
 座長さんを地道に頑張っている美貴様のことを書きたくなりますが、空気を読んで(笑)控えます。

投稿: 痛井ッ亭。 | 2008.04.15 09:06

もうちょっとかまってください(w)。

うーん、何でも肯定のスーパーポジティブシンキングオーガさんがここまで慎重論を唱えられるということは意外でして、でもそこまで推し通すのはよっぽどのことなんだろうなと思いつつ、それだったらもうとことん慎重論を貫いてほしいという気持ちになりました。オーガさん、リストカットでも彼女の人生の先輩だったんですね、と書いてしまうと不謹慎でしょうか。あ、僕も彼女のアレは生きようとしてもがいた末の行為だと思っています。そのあたりは、もうひとつの方のブログで書きました。あとはまあ、思うことは自分のブログで自分なりに書いてゆきます。何か、オーガさんには書きたくないことまで書かせてしまったような気がして申し訳なく思っております。でも、お互いが本当に大切に思っているからこそ熱くなってしまうのは仕方ないことかなと自己弁護させてください。

あと、痛井ッ亭。さん(辞書登録しました)の下(上?)のコメントの「本気で女優を目指すなら」からのくだり、とても納得のゆく、潔い考え方だなあと思うと同時に自分が俗に塗れていることに気付かされました。あと、どうしても僕は彼女に甘くなってしまうなあと(ゆえに痛井ッ亭。さんのコメントはとても貴重に思いました)、でも僕は(僕も?)意地っ張りなので、オーガさんと同じく考えを変えるつもりはありません(w)。

投稿: たんぽぽ | 2008.04.15 19:11

>痛井ッ亭。さん
昔いた会社の後輩に「頼みますからリアクションに困る自虐ネタはやめてください」と言われたのを思い出しました(苦笑)。本人はアッケラカンと「今朝道で転んだところに水たまりがあってさぁ、服が泥だらけだよ」程度の軽い気持ちで言っちゃうのですが周りはドン引きしちゃうんですよね。反省。

>実力で役を勝ち取り、世間がそれを認めてくれるまで黙々と努力する
本田美奈子.さんを思い浮かべました。あの人の人生にはさまざまな紆余曲折や浮き沈みがあって、でも最後まで仕事も命もあきらめなかった。だからこそ素晴らしく輝いたなと。


>たんぽぽさん
今でこそだいぶ板についてきましたが、そもそも僕のポジティブシンキングはネガティブの裏返しというか、ネガティブになる自分をひっくり返すために始めたことでして、そもそもは根が恥部、もといネガティブな傾向が強いんです。
自分をポジティブに変身させるためには、僕には「覚悟が伝わってくる」ことが必要なんです(たとえば「曲そのものはありえないけどこんなのを大真面目に歌うこいつらすげぇ」とか)が、そのへんの感触が今ひとつなので、どうしてもこういう考えになってしまいます。
それでも彼女は決して周りに流されて決めたのではないと信じ、「とにかく一歩踏み出しちゃったんだから行くしかないよね」と思うようにはなりました。きっとヒヤヒヤしながら行く末を見守っていくことでしょう。

>書きたくないことまで書かせてしまったような気がして申し訳なく思っております
いえいえお気になさらずに。上記の通り本人はいたって軽い気持ちで書きましたし、たぶん書かなければ自分の中にあるものに迫れなかった、きっと書かなければいけなかったことだった、そんな風に思います。

投稿: オーガ | 2008.04.15 20:00

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